報道ステーションでオランダ王国大使公邸の一般公開が
紹介されていたので行ってきました。
昼頃に行ったのですが、公邸前から東京メトロ神谷町駅まで
約400mの大行列。2時間待って、ようやく入場できました。
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■オランダ王国大使公邸
オランダは日本が鎖国していた400年以上前から
西洋で唯一国交がありました。
幕末に欧米諸国との交流が始まると、
江戸に各国の公使館を設置することになりました。
当時は攘夷論が高まっていた時代であり、
大名屋敷が多く比較的安全だった港区近隣の寺院が
各国代表を受け入れました。
オランダは港区芝の西応寺や長応寺などを利用。
現在の場所に移転したのは明治16年(1883年)です。
当時の建物は大正12年(1923年)の関東大震災の火災で焼失。
現在の建物は昭和3年(1928年)に再建されたものです。
当時は大使館でしたが、現在は1階がレセプションルーム、
2階が大使の邸宅として使用されています。
オランダ王国の国章が際立つ白と緑を基調としたデザインは、
左右対称の規則性のある新古典主義建築といわれています。
普段は大使公邸の敷地内に入ることはできませんが、
11,000株のチューリップが見頃を迎える4月中旬頃に
期日限定で一般公開されています。
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ライオンがデザインされたエンブレム
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オランダ船の通航を許可する
徳川家康の朱印状
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書斎
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控えの間
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サロン
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ダイニングルーム
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大広間
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■東京タワー
高さ333mの東京のシンボル。
昭和33年竣工。
観光名所としての人気も高く、
タワー内には展望台・フードコート・土産店などがあります。
本来の役割は電波塔であり、
テレビ・ラジオのアンテナとして放送電波を送出しています。
また、JR東日本の防護無線用アンテナや
東京都環境局の風向風速計、温度計、硫黄酸化物測定器などが
設置されています。
海抜150mの大展望台と250mの特別展望台からは、
首都東京の360°パノラマのほか、
晴れた日には富士山や房総半島まで見渡すことができます。
現在はスカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物です。
※放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所は、
平成25年5月に東京スカイツリーに移転しました。
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公式キャラクター「ノッポン」
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■南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像
制作:安藤士(渋谷の忠犬ハチ公像を制作した彫刻家)
第1次南極観測隊に参加した樺太犬15頭の功績を称え、
昭和35年に日本動物愛護協会が設置。
東京タワーの塔脚基部にあります。
昭和31年11月、総勢53名の第1次南極観測隊隊員が、
タロ・ジロを含む22頭の樺太犬とともに
南極観測船「宗谷」で南極へ出発しました。
このうち、11名の隊員が第1次越冬隊として南極に留まり、
病気などで帰国した3頭を除く19頭の犬たちが、
犬ぞり引きなどで活躍しました。
昭和33年2月、第1次越冬隊と入れ替わって越冬する
第2次越冬隊を乗せた宗谷が南極付近に到着しましたが、
天候の悪化のため、昭和基地にはたどり着けませんでした。
昭和基地から帰還する第1次越冬隊員たちは、
かろうじて小型飛行機で宗谷に到達するほどであり、
15頭の犬たちは首輪で昭和基地につながれたままとなりました。
(越冬中に2頭が死亡、1頭が行方不明、
子を産んだメスのシロ子は子犬とともに隊員と帰還)
その後、ぎりぎりまで天候の回復を待ったものの、
宗谷自体が遭難する危険性も出てきたため、
第2次越冬隊の派遣を断念。
それとともに15頭の犬の救出も見送られ、
南極に置き去りにされてしまいました。
残された犬たちの生存は絶望視されていましたが、
昭和34年1月、第3次越冬隊が2頭の犬を発見。
生存していたのはタロとジロの兄弟犬でした。
タロとジロの生還は感動をもたらしましたが、
偉業を成し遂げた樺太犬の多くが犠牲になったことを
私たち日本人は決して忘れてはなりません。
※東京タワー敷地内で進められている緑地化工事に伴い、
カラフト犬記念像は国立極地研究所(東京都立川市)に
移設されることになりました。
樺太犬たちの姿が見れるのは今年秋になるようです。 |
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