■朝食
ホテル1階のレストラン「フローラ」にて、
和洋折衷のビュッフェ。
今日は下関の観光をした後、
関門海峡を渡って北九州に行きます。
まずは、本陣伊藤邸跡から。 |
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■本陣伊藤邸跡
伊藤邸は鎌倉時代から続いた名家で、
江戸期には大年寄として町政を司り、
長府藩の本陣にもなっていました。
また、下関を代表する豪商であり、
幕末の攘夷志士らの活動を
様々な側面から支援していました。
下関に何度も訪れていた坂本龍馬には
屋敷の一部を貸与して住まわせるなど、
特に深い親交がありました。
龍馬が京都の近江屋で暗殺された時、
妻のお龍はその知らせをこの伊藤邸で
受け取っています。
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■赤間神宮
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで、
わずか8歳で入水崩御された
幼帝・安徳天皇を祀る神社。
江戸時代までは阿弥陀寺と称し、
仏式により祀られていましたが、
明治の神仏分離により寺は廃されて
神社となり「天皇社」と改称。
その後、赤間宮に改称した後、
昭和15年(1940年)に赤間神宮となりました。
境内には平家一門の墓(七盛塚)や
小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の
芳一堂などがあります。
宝物殿には「長門本平家物語」や
「源平合戦図」などの貴重な資料が
所蔵されています。 |
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水天門
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大安殿
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琵琶法師・芳一を祀る「芳一堂」
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■前田砲台跡
幕末に長州藩が攘夷戦争に備えて構築した
十数カ所の砲台の中で
中心的な役割を担った砲台のひとつ。
青銅製の大砲20門を装備していました。
国指定史跡。
幕末、長州藩は攘夷の方針を固め、
文久3年(1863年)5月、関門海峡を航行中の
アメリカ・フランス・オランダの艦船に対して
砲撃を行い、戦果をあげました。
約半月後の6月、報復としてアメリカ軍艦が
関門海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃。
報復の戦果をあげました。
その4日後、フランス軍艦は
砲台に対して猛砲撃を加えて沈黙させ、
陸戦隊を上陸させて砲台を破壊。
長州藩は破壊された砲台を修復しますが、
元治元年(1864年)8月、
イギリス・アメリカ・フランス・オランダの
四国連合艦隊の攻撃を受け、
再び陸戦隊によって砲台は破壊されました。
奇しくもこれが西洋の軍事力の前に
攘夷が困難なことを認識するきっかけとなり、
倒幕・開国を目指すターニングポイントと
なったのです。 |
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前田砲台が占拠されたときの写真
(現地案内板より)
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■功山寺
曹洞宗の寺。山号は金山。
開創は嘉暦2年(1327年)。
虚庵玄寂を開山とし、長福寺として創建。
足利氏、大内氏の外護で隆盛を誇りましたが、
大内氏が滅亡してから荒廃。
慶長7年(1602年)、長府藩主・毛利秀元公が復興し、
毛利家の菩提寺とするにあたって
功山寺と改称しました。
鎌倉時代創建、唐様建築の美しさを保つ仏殿は、
わが国最古の禅寺様式を残しており
国宝に指定されています。
幕末の文久3年(1863年)には、
七卿落ちで京を逃れた7名の公卿のうち5名が滞在。
元治元年(1865年)には
高杉晋作が伊藤博文率いる力士隊と
石川小五郎率いる遊撃隊ら、
わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)です。 |
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山門(下関市指定文化財)
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仏殿(国宝)
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高杉晋作挙兵(回天義挙)像 |
■長府毛利邸
長府藩の最後の藩主であり、豊浦藩知事であった
長府毛利家第14代当主・毛利元敏公が、
東京から帰住して建てた邸宅。
明治36年(1903年)完成。
約1万㎡の敷地は石垣と白壁に囲まれており、
武家屋敷造りの母屋がある区画が一段高く
配されるなど城郭的な構造をしています。
明治35年(1902年)には、
熊本で行われる陸軍大演習を視察する際の
明治天皇の行在所としても使われ、
一部の部屋は当時のまま残されています。
邸内には書院庭園・池泉回遊式庭園・枯山水庭園の
3つの庭が作られています。
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表門
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長府藩初代藩主・毛利秀元公像
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武家屋敷造りの母屋
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母屋の内部
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書院庭園
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明治天皇御宿泊の間
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茶室・淵黙庵 |
■みもすそ川公園(壇ノ浦古戦場跡、壇ノ浦砲台跡)
関門海峡の景色を望むことができる公園。
公園前に広がる海は
関門海峡の一番狭まったところで、幅約600m。
「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、
潮流の変化が激しい海の難所です。
ここは源平壇ノ浦の戦いや
幕末の攘夷戦の古戦場であるため、
源義経と平知盛の像や
長州砲のレプリカなどがあります。
壇ノ浦の戦いは元暦2年(1185年)に行われた
源平合戦の最後の舞台。
平家は香川県の屋島で敗戦した後、
下関市の彦島にいましたが、
それを源氏は追いかけ、壇ノ浦で戦いになりました。
初めは平家に有利でしたが、
戦いの途中で潮流が変わり、形勢が逆転。
流れに乗った源氏が勝利を収めました。
この合戦の結果、
安徳天皇をはじめ平家の一門は入水して果て、
平家は滅亡しました。
壇ノ浦砲台は
幕末に長州藩が築いた砲台のひとつ。
攘夷派の長州藩は、文久3年(1863年)、
関門海峡を通る外国船を砲台から攻撃。
その翌年、英米仏蘭の連合艦隊が報復攻撃。
砲台は破壊され、占拠されました。
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関門橋(全長:1068m、主塔高さ:海面上141m)
海面に筋が見えるのは潮の流れが速いためです
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長州砲のレプリカ
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源義経像(八艘跳び)
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平知盛像(錨を担いだ姿)
源義経像と対峙する位置に設置してあります
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■火の山公園
関門海峡を見下ろす
標高268mの火の山山頂にあります。
山の名は、かつて山頂に
狼煙台が設けられていたことに由来。
明治期以降は下関要塞の一部として
重要な軍事拠点となっていたため、
戦後に開放されるまで
一般人の立ち入りが禁止されていました。 |
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展望台が改修工事中だったため、ロープウェイ乗り場横の展望スポットより撮影
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■カモンワーフ
唐戸市場に隣接するシーサイドモール。
関門自慢の海の幸を中心としたレストランや
土産物店が立ち並んでいます。
向かいには幕末に砲台が設置された
亀山八幡宮があります。
文久3年(1863年)の外国艦船砲撃の際、
久坂玄瑞の指揮によりこの亀山砲台から
最初の砲撃が行われたとされています。
■昼食
カモンワーフ内にある「からと屋」。
下関のご当地グルメ「瓦そば」を注文。
「瓦そば」とは、
熱した瓦の上に茶そばと具材を載せて、
温かいめんつゆで食べる料理。
明治10年(1877年)の西南戦争の際に
熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、
瓦を使って野草、肉などを焼いて食べた
という話を参考に開発されました。
鉄板で供される店もあるようですが、
ここの店のものは本物の大瓦です。
焼けたそばのパリパリとした食感が
とても良かったです。
おいしくいただきました。
■唐戸市場
下関漁港や特牛漁港、長門市の仙崎漁港など
県内各地で水揚げされた多種多彩な魚介が
集まる市場。
業者向けの卸売市場の機能と
市民向けの小売市場の機能が共存するという、
日本でも珍しい形態となっています。
この市場で大人気なのが、
毎週金・土・日曜と祝日に開催される
「活きいき馬関街」。(「馬関」は下関の古称)
その最大の魅力はにぎり寿司の食べ歩き。
「ご当地」、「旬」、「定番ネタ」など、
多種多彩な寿司を店ごとに1貫から購入できます。
しかもすべてがリーズナブル。
寿司のほかにも海鮮丼やふく汁、
揚げ物、焼物など多くの商品が揃っています。
購入した商品は市場内の食事スペースのほか、
市場の外で海を見ながら食べることも可能です。
■昼食その2
唐戸市場で寿司の食べ歩き。
ウニ、ヒラサ(ヒラマサのこと)、フク(フグのこと)、
クジラベーコン、ウナギをチョイス。
その後、フクの唐揚げと
クジラの竜田揚げを食べました。 |
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カモンワーフ |
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亀山砲台跡(亀山八幡宮) |
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瓦そば |
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唐戸市場 |
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ウニ、ヒラサ、フク、クジラベーコン、ウナギ
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フクの唐揚げとクジラの竜田揚げ
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唐戸市場を楽しんだ後は北九州に向かいます。
国道2号線を走り、関門トンネルを抜けて
北九州の観光スポット・門司港レトロへ。 |
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■旧門司三井倶楽部
大正10年(1921年)に三井物産の
宿泊施設・社交倶楽部として建設された建物。
国指定重要文化財。
もとは山あいの門司区谷町にありましたが、
平成6年に門司港レトロ地区に移築されました。
建物はハーフティンバー様式と呼ばれる
ヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られており、
各部屋にマントルピース(暖炉)が配置されています。
また、ドア枠や窓枠、大階段の親柱などには
幾何学模様のアールデコ調の飾りがされており、
大正モダンを深くうかがうことができます。
大正11年(1922年)、講演旅行で来日した
アインシュタインはここ三井倶楽部に宿泊し、
その時の部屋が当時のまま残されています。
門司出身の女流作家・林芙美子記念室もあり、
自筆原稿やパリの滞在日記、従軍手帳、
絵画、書など約150点が展示されています。 |
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アインシュタイン・メモリアルルーム
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■旧大阪商船
大阪商船の門司支店として
大正6年(1917年)に建設。
国登録有形文化財。
当時、門司港からは1ヶ月の間に
台湾・中国・インド・欧州へ
60隻もの客船が出航していました。
このビルはその拠点のひとつとして
一階は待合室、二階はオフィスとして
使われていました。
八角形の塔屋が特徴で、
鮮やかなオレンジ色のタイルが
ひときわ目を引く建物です。
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■旧門司税関
明治45年(1912年)、前々年に焼失した
門司税関の二代目の庁舎として建設。
イギリス積みという工法で建設され、
煉瓦造り瓦葺2階建構造になっています。
税関庁舎としては、
昭和2年(1927年)に三代目の庁舎となる
旧合同庁舎が完成するまで使用されました。
その後、民間に払い下げられ、
倉庫などとして使用されていましたが、
平成6年に北九州市が修復・復元を行い、
ネオルネッサンス調を取り入れた
近代建築物としてよみがえりました。
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■国際友好記念図書館
北九州市と中国・大連市の
友好都市締結15周年を記念して
平成7年に建てられました。
ロシア帝国が明治35年(1902年)に
大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を
そっくり複製して建築されたものです。
ドイツ人技師が設計した
特異な建築様式で作られていて、
エキゾチックな外観がすばらしい雰囲気です。 |
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■九州鉄道記念館
平成15年に開館した鉄道のテーマパーク。
九州初の鉄道会社・九州鉄道が
明治24年(1891年)に鉄道路線の起点を
門司駅(現JR門司港駅)としたことから、
北九州市が門司の鉄道文化発信を目的に、
JR九州の協力を得て開業させました。
本館、車両展示場、ミニ鉄道公園の
3つのエリアで構成されています。
本館はヘッドマークや各種きっぷ、
駅員の歴代制服、鉄道用具、駅弁ラベル
などを展示。
車両展示場には蒸気機関車や
人気列車など9両を実物展示。
ミニ鉄道公園では模型鉄道車両に
乗車することができます。 |
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EF10形電気機関車(1941年東芝製)
関門トンネル開通時に配備されたステンレス車体の機関車
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クハ481形制御車(1969年日本車輌製)
熊本地区の電化にあわせて誕生した交流・直流両用の電車
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本館(国登録有形文化財)
明治24年(1891年)に建築された初代九州鉄道本社社屋を転用
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かつて使われていた腕木式信号機
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これにて今回の旅行の観光はすべて終了。
関門自動車道・中国自動車道・山陽自動車道を通って
山口宇部空港に向かいます。
■帰着
山口宇部空港17:35発ANA700便に搭乗。
航空管制指示のため6分遅れで離陸。
羽田空港には15分遅れの19:30に到着。 |
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関門橋(関門自動車道)
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■感想
今回の旅では長州の幕末志士たちの
足跡を辿れたのが一番良かったです。
それぞれの史跡にはガイドの方がおられて、
詳しく説明をしていただき、
知識を深めることができました。
また、山口特産の食べ物も堪能することができ、
とても満足のいく旅でした。
グルメでは唐戸市場の活きいき馬関街が
良かったです。
あのような所が近くにあればいいのですが。。。 |
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