鹿児島旅行記 五日目(2019/09/09)


■朝食
  1F「驛亭さつま」にて和洋ビュッフェ。
  郷土料理が中心の「鹿児島の朝ごはん」です。
  ※画像ありません。すみません。。。



朝食後、まずは南洲墓地へ。
■南洲墓地
  ここには749基の墓石があり、
  西郷隆盛をはじめ、桐野利秋・村田新八ら
  西南戦争で戦死した薩軍兵士2023人が
  葬られています。

  薩軍ほか、西郷を慕って参加した
  福岡・大分・山梨・山形の各県出身者兵士、
  西郷らを支援した鹿児島県初代県令・大山綱良の
  墓も並んでいます。

  昭和30年(1955年)、鹿児島県の史跡に指定。

  ※南洲は西郷隆盛の号名です。


(↑上画像)西郷隆盛のお墓(右画像→)


篠原国幹のお墓

桐野利秋のお墓

村田新八のお墓


大山綱良のお墓


■南洲神社
  御祭神は西郷隆盛命、および
  桐野利秋命以下薩軍戦没者6800柱。

  西南戦争での西郷軍方の戦死者が埋葬される
  南洲墓地の隣にあります。

  西南戦争後まもなく、
  南洲翁をはじめ戦没者の英霊を祀るべき
  祠を建てようという議が高まり、
  明治13年(1880年)、
  神社の前身である参拝所ができました。

  大正2年(1913年)に社殿が竣工。
  当時はこれを南洲祠堂と呼んでいましたが、
  大正11年(1922年)、「南洲神社」という
  社号が許されました。


■若き薩摩の群像
  薩摩藩がイギリスへ派遣した留学生一行の像。

  薩英戦争で西欧文明の偉大さを痛感させられた
  薩摩藩は、慶応元年(1865年)、
  優秀な青少年15名と使節団4名、計19名を
  イギリスに派遣しました。

  当時の幕府は、海外渡航を禁じていたので
  甑島(こしきじま)への出張という名目で、
  英国貿易商グラバーが用意した蒸気船で
  密かにイギリスに旅立ちました。

  イギリスではロンドン大学で学び、
  その後も大部分がアメリカやフランスに渡って
  留学生活を続けました。

  帰国後は留学の成果を大きく発揮し、
  外交、文教、産業等の分野で活躍。
  薩摩藩当局の勇気ある決断と、
  若き青年たちの積極的な熱意が
  日本の歴史を大きく転換させました。


鹿児島空港に向かう前に、この旅二回目の「白熊」。
今回は鹿児島中央駅ビルにある
「天文館むじゃき アミュプラザ店」へ。


■天文館むじゃき アミュプラザ店
  白熊の本家、天文館むじゃきの支店として、
  平成16年にオープン。
  白熊をはじめ、お好み焼き、焼きそばなどの
  鉄板焼きメニューがあります。

  私は「チョコレート白熊」、妻は普通の「白熊」。
  ただし、今回はベビーサイズにしました。
  ベビーサイズとはいえ、
  レギュラーサイズが大きいので、
  普通に食べるかき氷と同じくらいのサイズです。

  おいしくいただきました。
チョコレート白熊


白熊


一息ついたところで、昨日に引き続き
鹿児島空港に向かいます。


■帰着
  鹿児島空港12:45発JAL646便に搭乗。
  昨日の台風による欠航の影響があり、
  羽田空港の混雑ということで、
  40分遅れの13:25に離陸。
  羽田空港には64分遅れの15:29に到着しました。

  羽田空港から横浜に向かうバスも
  首都高湾岸線が一部通行止めになっており、
  経路を変更しての運行でした。
鹿児島空港の展望デッキに咲いていたハイビスカス JAL646便



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