■朝食
1F「驛亭さつま」にて和洋ビュッフェ。
郷土料理が中心の「鹿児島の朝ごはん」です。
※画像ありません。すみません。。。
朝食後、まずは南洲墓地へ。 |
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■南洲墓地
ここには749基の墓石があり、
西郷隆盛をはじめ、桐野利秋・村田新八ら
西南戦争で戦死した薩軍兵士2023人が
葬られています。
薩軍ほか、西郷を慕って参加した
福岡・大分・山梨・山形の各県出身者兵士、
西郷らを支援した鹿児島県初代県令・大山綱良の
墓も並んでいます。
昭和30年(1955年)、鹿児島県の史跡に指定。
※南洲は西郷隆盛の号名です。
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(↑上画像)西郷隆盛のお墓(右画像→)
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篠原国幹のお墓
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桐野利秋のお墓
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村田新八のお墓
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大山綱良のお墓
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■南洲神社
御祭神は西郷隆盛命、および
桐野利秋命以下薩軍戦没者6800柱。
西南戦争での西郷軍方の戦死者が埋葬される
南洲墓地の隣にあります。
西南戦争後まもなく、
南洲翁をはじめ戦没者の英霊を祀るべき
祠を建てようという議が高まり、
明治13年(1880年)、
神社の前身である参拝所ができました。
大正2年(1913年)に社殿が竣工。
当時はこれを南洲祠堂と呼んでいましたが、
大正11年(1922年)、「南洲神社」という
社号が許されました。
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■若き薩摩の群像
薩摩藩がイギリスへ派遣した留学生一行の像。
薩英戦争で西欧文明の偉大さを痛感させられた
薩摩藩は、慶応元年(1865年)、
優秀な青少年15名と使節団4名、計19名を
イギリスに派遣しました。
当時の幕府は、海外渡航を禁じていたので
甑島(こしきじま)への出張という名目で、
英国貿易商グラバーが用意した蒸気船で
密かにイギリスに旅立ちました。
イギリスではロンドン大学で学び、
その後も大部分がアメリカやフランスに渡って
留学生活を続けました。
帰国後は留学の成果を大きく発揮し、
外交、文教、産業等の分野で活躍。
薩摩藩当局の勇気ある決断と、
若き青年たちの積極的な熱意が
日本の歴史を大きく転換させました。 |
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鹿児島空港に向かう前に、この旅二回目の「白熊」。
今回は鹿児島中央駅ビルにある
「天文館むじゃき アミュプラザ店」へ。
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■天文館むじゃき アミュプラザ店 白熊の本家、天文館むじゃきの支店として、
平成16年にオープン。
白熊をはじめ、お好み焼き、焼きそばなどの
鉄板焼きメニューがあります。
私は「チョコレート白熊」、妻は普通の「白熊」。
ただし、今回はベビーサイズにしました。
ベビーサイズとはいえ、
レギュラーサイズが大きいので、
普通に食べるかき氷と同じくらいのサイズです。
おいしくいただきました。 |
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チョコレート白熊
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白熊
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一息ついたところで、昨日に引き続き
鹿児島空港に向かいます。 |
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■帰着
鹿児島空港12:45発JAL646便に搭乗。
昨日の台風による欠航の影響があり、
羽田空港の混雑ということで、
40分遅れの13:25に離陸。
羽田空港には64分遅れの15:29に到着しました。
羽田空港から横浜に向かうバスも
首都高湾岸線が一部通行止めになっており、
経路を変更しての運行でした。 |
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鹿児島空港の展望デッキに咲いていたハイビスカス |
JAL646便 |
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