■朝食
ホテル1階「レストランマンマミーア」にて和洋食ビュッフェ。
20種類以上のメニューを日替わりでご用意。
地元会津でとれた甘くておいしい「会津米」が好評です。
今日はお昼にがっつり食べるので、朝食は控えめ。
会津のB級グルメ「カレー焼きそば」も食べました。 |
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カレー焼きそば |
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朝食後、ホテル前の野口英世青春広場へ。
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■野口英世青春広場
平成17年、まちなか賑わいの拠点としてオープン。
世界的細菌学者だった野口英世博士の銅像があります。
情報発信スペースや会津ならではのお店が入る
Dr.野口館という複合施設も営業中です。
野口英世博士は明治9年(1876年)に
現在の猪苗代町で生まれました。
1歳半の頃、大火傷を負って左手が不自由になりましたが、
15歳の時に手術を受けて左手が少し使えるようになります。
その時に医学の素晴らしさを知って、
医者への道を志すことになりました。
その後、黄熱病などの研究に尽力し、
黄熱病の病原体を発見するなど数々の功績を残しましたが、
自らも黄熱病に感染して逝去。
享年51歳。
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部屋に戻り、準備を整えて出発。
会津若松から約30km南の大内宿を目指します。
会津若松市街を抜けると田んぼが黄金色に染まり、
美しい実りの風景が広がっていました。
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■大内宿
江戸時代の町並みを今に残す宿場町。
会津若松と日光を結ぶ下野街道(会津西街道)にあり、
若松城下から2番目の宿場として1640年頃に整備されました。
街道の両脇に茅葺き屋根の民家が並び、
江戸へ向かう大名や旅人の宿駅として
重要な役割を果たしていました。
戊辰戦争では、大内宿の近くでも激しい戦闘が行われましたが、
当時の名主による死を覚悟した抵抗によって、
焼き討ちなどの戦火を免れたと言われています。
30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ様子は極めて珍しく、
昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区の
指定を受けました。
民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並び、
箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる「高遠そば」が有名です。 |
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セピア色にしてみると
江戸時代にタイムスリップしたようです
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本陣(復元)
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べったら餅
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■芦ノ牧温泉駅
会津鉄道の途中駅。
名誉駅長の「ばす」(16歳:人の年齢では93歳)と
見習い駅員「らぶ」(5ヶ月)の
2匹の猫が勤務しています。
「ばす」は、平成11年に地元の子供たちに保護され、
この駅に連れてきたところ、
そのまま住み着いてしまったそうです。
平成20年4月、名誉駅長に任命。
平成26年7月には見習い駅員「らぶ」が着任。
面会に際して、フラッシュ撮影や抱き上げ、
無理な追い回しなどのマナー違反が後を絶たず、
これらの行為を含めて
普通の写真撮影も一切禁止されています。
遠くから暖かく見守ってあげましょう。
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駅に掲示されていた「ばす」のポスター
実物は撮影禁止なので・・・
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国道118号線を走り、会津若松に戻ります。
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■中野竹子殉節之地
戊辰戦争において、
娘子軍隊長・中野竹子が奮戦し、戦死した地。
碑の裏面には、出陣の際に薙刀に結び付けていたという
辞世の句「武士(もののふ)の 猛き心にくらぶれば
数にも入らぬ 我が身ながらも」が刻まれています。
慶応4年(1868年)8月23日、
鶴ヶ城下に新政府軍接近の早鐘が鳴り響きました。
竹子は母・妹とともに籠城するために鶴ヶ城に向かいます。
しかし、既に閉門され城内に入ることができなかったため、
日頃鍛錬を重ねた薙刀道場の娘たちとともに
娘子軍を自発的に結成しました。
竹子たちは、藩主・容保公の義姉・照姫が
坂下宿に避難したと聞き、護衛すべく坂下宿へ向かいます。
しかし、それが誤報と分かり、
途中で萱野権兵衛率いる衝峰隊に従軍を願い出て、
行動を共にすることになりました。
8月25日夕方、柳橋(涙橋)付近で新政府軍と交戦。
竹子は真っ先に薙刀を振るい奮戦しますが、
新政府軍の銃弾を額に受けてしまいます。
竹子は「敵に首級を渡してはならぬ」と妹に介錯を依頼。
享年22歳。(18、20という説もあり)
■如来堂
新選組殉難の地。
会津に残留し徹底抗戦を主張する斎藤一を中心とした
新選組20余人が本陣を構えた地。
母成峠の戦いに敗れた新選組は、
北へ向かおうとする土方歳三らと
会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。
このとき斎藤一は、
「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」
と同意した隊士とともに会津に残りました。
慶応4年(1868年)9月4日、
新政府軍は如来堂に立てこもる新選組を攻撃し、
激しい戦いを繰り広げました。
ここに残った新選組は、
斎藤一ら数名を残してほぼ全員が討死しました。
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中野竹子像
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如来堂
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昼食は会津のご当地B級グルメ「ソースかつ丼」を食べました。
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■昼食
「お食事処むらい」。
ボリューム感たっぷりの丼で土日は行列必至の人気店。
平成25年にバイク王が実施した
「バイクに乗って食べに行きたい
イチオシのグルメ&スイーツランキング」で
1位になったお店です。
納得できない食材は使わない」というこだわりで、
福島県産の吟味された豚肉、会津産コシヒカリを使用。
上品な甘みに酸味のあるソースは自家製で無添加です。
会津のソースかつ丼は、
千切りキャベツとソースに浸した揚げたてトンカツを特徴とし、
大正期から庶民の味として親しまれてきた伝統の味です。
「ロースかつ丼」を注文。
丼からはみ出る大きさ、しかも厚さ3cm。
ボリュームに圧倒されました。
衣はサクサク、肉は厚いですがとてもやわらかくてジューシー。
最初はおいしくいただいていたのですが、
後半は拷問に近い感じ(←ごめんなさい・・・)
普通の男性の方も残していました。
わが夫婦も当然食べきれません。
パックを購入し、お持ち帰りしました。
(移動の合間に食べましたが、冷めてもおいしかったです)
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カツは2段になっています
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■野口英世青春館
野口英世博士が左手の手術を受け、
16歳~19歳までを書生として医学の基礎を学んだ「会陽医院」。
その建物をそのままを活かし、一階が喫茶「會津壱番館」、
二階が資料館「野口英世青春館」になっています。
明治17年(1884年)に建てられた蔵造り洋館です。
「野口英世青春館」には、
野口博士が少年の頃に使っていた机や愛用品などがあり、
友人たちと撮った写真や成績表なども展示されています。
また、顕微鏡を初めて覗かせてもらった時の話や
初恋の人とのエピソードも紹介されており、
当時の素顔を知ることができます。
「會津壱番館」は、
アンティーク家具が配され、時間がゆっくりと流れる店内。
野口博士とゆかりのある国のコーヒー豆を使用。
豆一粒一粒を選別し、
悪い豆を取り除いてから丹念に焙煎した
こだわりのコーヒーを飲むことができます。 |
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■會津藩校 日新館
日新館は、人材の育成を目的に
享和3年(1803年)に建設された会津藩の最高学府。
藩士の子弟は10歳で入学して学問や武道に励み、
心身の鍛錬に努めました。
約26,000㎡の敷地に武道場や天文台、
日本最古のプールといわれる水練水馬池などがあり、
山本覚馬や白虎隊の少年達をはじめ、
多くの優秀な人材を輩出。
覚馬はのちに、この日新館で蘭学の教授も務めました。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争により校舎は焼失。
現存するのは鶴ヶ城西側に残る天文台跡のみです。
実際の藩校は焼失したものの、
藩校に関する図面などの資料が残っていたため、
当時の施設を忠実に復元されたのが現在の日新館です。
壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるほか、
弓道や座禅などの各種武士道体験や、
会津の縁起物「赤べこ」などの絵付け体験も楽しめます。 |
山川健次郎像
日新館きっての秀才で
戊辰戦争後、アメリカに留学
日本人初の博士号を取得しました
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南門(入口)
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戟門
太鼓を置き、これを打ち鳴らして
時を知らせていました
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素読所
「論語」等の素読(棒読み)をしました
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天文学の学習
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水練水馬池
鎧兜を身に着けたまま
泳ぐ練習をしていました
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大成殿
儒教の祖である孔子像を祀っています
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武講
兵学を研究するところ
城の造り方や軍事教練が行われました
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天文台
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続いて会津若松を離れ、裏磐梯に向かってドライブです。
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■磐梯山ゴールドライン
大小さまざまの湖沼群が点在する「磐梯高原」と
歴史ロマンあふれる「会津」をつなぐ道路。
全長17.6km。
かつては有料道路でしたが、
平成25年7月25日から無料開放されました。
荒々しい磐梯山の噴火口が望める黄金平や
広大な猪苗代湖のパノラマが広がる山湖台など
見どころが多い道路です。
猪苗代側の穏やかな山容や裏磐梯の荒々しい火口など、
大自然の力を感じながらドライブすることができます。 |
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滑滝展望台
滝は小さいので
見つけるのにやや時間を要します
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とび滝展望台
樹木の間をくぐり抜け
岩肌を這うように流れ落ちる
とび滝を遠望することができます
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山湖台より猪苗代湖を望む
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黄金平
磐梯山の爆烈火口壁が間近に見られ
大自然のもつ威力と魅力が
最も感じられるところです |
磐梯山の荒々しい山肌
(黄金平より)
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本日の観光はこれにて終了。
桧原湖近くのホテルに向かいます。
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まぼろしの滝
最近になって遊歩道が付けられ
滝まで入られるようになりました
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■本日のお宿
「星野リゾート 裏磐梯ホテル」。
日本百名山の一つ「磐梯山」の荒々しい稜線望む
裏磐梯・桧原湖畔に建つ高原リゾートホテル。
磐梯山登山や五色沼・桧原湖・中津川渓谷のトレッキング・散策、
また会津若松や喜多方への周辺観光に最適です。
森の静寂に囲まれた部屋、
桧原湖を望むことのできる絶景露天天然温泉、
東北の名物料理を楽しむことができます。
とてもきれいなホテルで、スタッフの方々の対応も良かったです。 |
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ホテル玄関先から磐梯山を望む
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レイクビューのお部屋
(翌日撮影)
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■夕食
ホテル1階の「ヒバラダイニング」にてビュッフェ。
「KOREZO東北」をコンセプトに
東北地方の食を体感できるレストラン。
東北6県それぞれの名物料理や季節限定の創作料理など、
会津・東北地方の彩り豊かな全50種類の料理を
堪能することができます。
山形の「芋煮」、秋田の「きりたんぽ鍋」などを食す。
おいしかったので、いろいろお代わりしました。 |
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米沢牛
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牛たん
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芋煮
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馬刺し
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喜多方ラーメン |
きりたんぽ鍋 |
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