■朝食
ホテルにて和洋ビュッフェ。
1Fロビーが朝食会場になっています。
席に限りがあるので時間予約制です。 |
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今日の観光は浜田市郊外にあるしまね海洋館アクアスから。
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■しまね海洋館アクアス
平成12年にオープンした中四国地方最大級の水族館。
約400種1万点の生物が展示されています。
島根の神話に登場するサメ(地方名:ワニ)を展示する
神話の海(サメ大水槽)、アシカ・アザラシプール、
4種のペンギンを展示するペンギン館のほか、
趣向を凝らした様々なテーマの水槽があります。
また、大手携帯会社のCMに起用され、
全国的にも有名となったシロイルカによるパフォーマンス
「バブルリング」や「マジックリング」は必見。
このリングを観た人には幸せが訪れるといわれています。 |
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海底トンネル
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神話の海(サメ大水槽)
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ペンギン館
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空飛ぶペンギン
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アシカ・アザラシプール
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幸せのバブルリング
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あいさつ代わりの二頭によるバブルリング
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頭の上にある鼻の孔から作る
マジックリング
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連続バブルリング
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バイバイ
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続いて山陰の小京都・津和野へ向かいます。
約80kmの道のりです。
まずは津和野駅へ。
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■津和野駅(SL)
大正11年(1922年)開業。
構内には蒸気機関車用の転車台や、
静態保存されているD51形蒸気機関車があります。
C57形蒸気機関車が牽引する「SLやまぐち号」の終着駅。
駅前のD51を撮影している時、
SLやまぐち号がもうすぐ到着するとの情報を聞き、
急いで駅の方へ。
走行するSLを初めて見ました。 |
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D51形蒸気機関車
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焚ロ戸
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運転席 |
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圧力計とバルブ
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SLやまぐち号が入ってきました
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■昼食
津和野名物「うずめ飯」を食べるために「ふる里」へ。
うずめ飯は日本五大銘飯のひとつ。
見た目は出汁をかけた白いご飯の上に海苔と山葵。
ところが、その中身をすくってみると
豆腐や三つ葉、椎茸などの具が次々に現れます。
小さく刻んだ具がご飯の下に「うずめ」てあることから、
その名がつきました。
起源は江戸時代中期頃といわれ、
贅沢を嫌った津和野藩主に見つからないように、
おかずをご飯の中に隠して食べたという説など、
諸説あります。 |
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見た目はシンプルなお茶漬け
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ご飯の下から具が現れます
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刺身こんにゃく
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■本町通り
津和野観光のメインストリート・殿町通りに続く通り。
伝統建築を引き立てる風情ある石畳となっています。
江戸時代は殿町までが武家町、本町から北が町人町とされ、
惣門で厳重に隔てられていました。
道幅は殿町より狭くしてあり、
江戸時代から道幅が変わっていないのも特徴の一つです。
殿町は武家関係の建物が多いのですが、
この通りは石州瓦の大柄な商家が残っています。
現在残る建物の多くは、
嘉永6年(1853年)の大火後に建てられたものです。 |
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橋本酒造場(国登録有形文化財)
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河田家住宅(国登録有形文化財)
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古橋酒造場(国登録有形文化財)
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ささや呉服店(国登録有形文化財)
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旧布施時計店(国登録有形文化財)
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俵種苗店(国登録有形文化財) |
分銅屋(国登録有形文化財)
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河田商店(国登録有形文化財)
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財間家住宅(国登録有形文化財)
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■殿町通り
古い歴史をもつ城下町・津和野の中で、
最も古いたたずまいを残す通り。
かつての武家町で、
白壁と格子窓が残る藩校跡や
武家屋敷門などが建ち並んでいます。
通りに沿って流れる掘割には白壁や並木の緑が映り込み、
町のシンボルである色鮮やかな鯉が泳いでいます。
5月下旬~6月中旬には約3000本もの花菖蒲が咲き誇ります。 |
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■津和野カトリック教会
昭和6年(1931年)、
ドイツ人ヴェケレーによって建てられました。
ゴシック様式の建物ですが、内部は教会には珍しい畳敷きで、
色鮮やかなステンドグラスが印象的です。
国登録有形文化財。
明治元年(1868年)~明治5年(1872年)、
「浦上四番崩れ」という弾圧によって、
長崎浦上の隠れキリシタンたちは津和野の乙女峠に
流刑されてきました。
キリシタンたちは改宗を求められましたが、
彼らの堅い信仰は揺るがず、
拷問による棄教が強要されるようになりました。
そのような迫害により殉教した者も少なくなく、
この教会はその慰霊のため建てられました。
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■藩校養老館
天明6年(1786年)、津和野藩八代藩主・亀井矩賢公が開設。
嘉永6年(1853年)の大火で焼失しましたが、
安政2年(1855年)、十一代藩主・亀井茲監公が再建。
かつては、文学教場、寄宿舎、武器工場、弾薬庫、
馬場などもありましたが、
現在残っているのは武術教場と御書物蔵だけです。
島根県指定史跡。
津和野藩は4万3千石の小藩でしたが、
儒学、漢学、礼学、数学、兵学、国学に加え、
医学や蘭医科も設置、人材育成に力を注ぎました。
ここから哲学者・西周や文豪・森鴎外など、
多くの逸材を輩出しています。 |
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剣術教場・居合柔術教場と掘割
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門より左が剣術教場・居合柔術教場、右が槍術教場
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御書物蔵
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■大岡家老門
津和野藩で家老職を務めた大岡家の表門。
敷地内には津和野町役場津和野庁舎が建っています。
■多胡家老門
亀井氏11代にわたって筆頭家老を務めた多胡家の表門。
風格ある門の両脇に番所や物見部屋が残されています。
島根県指定有形文化財。 |
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大岡家老門
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多胡家老門
番所は改修工事中でした
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■太皷谷稲成神社
安永2年(1773年)、津和野藩七代藩主・亀井矩貞公が
津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、
京都伏見稲荷を勧請したのが始まり。
祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)と
伊弉冉尊(いざなみのみこと)。
日本五大稲荷の一つに数えられており、
一般には稲荷と書きますが、
ここは全国でただ一つ稲成と書きます。
亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、
つまり願望成就・大願成就などの意味が込められています。
津和野の町から城山の方向を眺めると、
奉納された約1000本の朱塗りの鳥居が
トンネルのように立ち並んでいます。 |
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本殿
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表参道
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神門
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おきつねさま
神様の神使です
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■乙女峠マリア聖堂
昭和26年(1948年)に津和野カトリック教会の
岡崎祐次郎神父が殉教者の霊を慰めるために
乙女山の中腹、光淋寺跡に建立した聖堂。
明治元年(1868年)、明治新政府の隠れキリシタン弾圧により、
長崎浦上のキリシタン163名はここ光淋寺に預けられ、
津和野藩により改宗の説諭が行われました。
しかし、棄教する者はなく、
方針を改めた津和野藩は信徒に対して
日夜残酷苛烈な拷問にかけて改宗を迫りました。
その際に聖母マリアが現れ、
信徒に語りかけ励ましたという伝説もあります。
殉教したもの36名、
信仰を捨てずに生きながらえた者68名、
拷問に耐えかねて信仰を捨てた者59名。
明治6年(1873年)の禁教解除により、
信徒たちは釈放されて浦上へと帰されました。 |
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聖堂内部
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「三尺牢」に入った安太郎と
降臨した聖母マリアの像
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移動途中、SLやまぐち号が発車準備をしていたので、
再び津和野駅に隣接する駐車場へ。
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発車準備をするSLやまぐち号
銘板
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これにて今回の旅の行程はすべて終了。
萩・石見空港に向かいます。
萩・石見空港には「しまねっこ空の別荘」がありました。
■夕食
空港内の「キッチンそらら」へ。
「牛丼定食」を注文。
東京食肉市場まつりでグランドチャンピオンに
選ばれたこともある地元松永牧場の牛肉を使用しています。 |
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■帰着
萩・石見空港18:15発ANA1104便に搭乗。
羽田空港には19:50に到着。
空港リムジンバスで横浜に帰りました。
■感想
島根県を端から端まで横断する移動距離の長い旅でした。
山間部には行けませんでしたが、
島根の主要な観光地を巡ることができました。
一番良かったのは石見神楽。
迫力があり、とてもすばらしかったです。
今回の旅では、プレミアム宿泊券、プレミアムおみやげ券、
しまねカードを事前に入手し、さらにJAFカードを駆使して
旅行費用をかなり安くすることができました。 |
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ANA1104便
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