■朝食
夕食と同じく「穀厨」。
厳選した地元食材中心の和洋50種類以上のご馳走ビュッフェ。
魚介類が多めでした。
ごはんは仁多米。
味噌汁はもちろんしじみ汁。 |
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今日のメインの観光は石見銀山ですが、
まずは玉造温泉街の外れ、玉湯川の上流に鎮座する
玉作湯神社へ。
■玉作湯神社
出雲国風土記にも記載されている古社。
創建時期は不明。
玉造は温泉とともに「めのう」の産地としても知られ、
古来より勾玉の生産で有名な土地でした。
玉作湯神社には、
玉作りの神・櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)、
国造りと温泉療法の神・大名持命(おおなもちのみこと)、
温泉守護の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)の
三神が祀られています。
神社境内の奥には、古くから「湯山主之大神」として
崇められてきた丸い自然石「願い石」があります。
この石に「叶い石」と呼ばれる天然石を重ねて願うことで、
不思議な力が吹き込まれるといわれています。
「叶い石」はお守りとして持ち帰ることができます。 |
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拝殿
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本殿
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中央の石が「願い石」
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珍しい親子の狛犬
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続いて山陰道、国道9号線を通って石見銀山へ。
石見銀山までは約80kmの道のりです。
途中の道の駅キララ多伎で休憩。
しまねっこの海の別荘がありました。
このあたりはいちじくが特産らしく、
果実や加工品などがたくさん売っていました。
道の駅を出発し、まずは石見銀山世界遺産センターへ。
石見銀山について学習します。
■石見銀山世界遺産センター
石見銀山の歴史や鉱山技術を分かりやすく紹介する施設。
銀山遺跡全体が見られるジオラマのほか、
当時の銀の精錬技術である灰吹法を解説する展示などがあります。
また、石見銀山最大級の坑道「大久保間歩」の一部を
忠実に再現した展示もあります。
※石見銀山
平成19年、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の名で
世界遺産(文化遺産)に登録。
14世紀初めに発見されたといわれ、
16世紀に灰吹法という製錬技術が導入されたことにより、
良質な銀が大量に生産されることになりました。
最盛期の江戸時代前半には年間約38トンを産出。
世界の約3分の1とされる国産銀の大半を
石見銀山産出の銀が占めていたといわれます。
しかし、寛永年間(1624~44年)以降は次第に衰退。
明治以降は銅も産出しましたが、大正12年(1923年)に閉山。
センター見学後はパーク&ライドのため、
バスに乗って銀山方面に向かいます。
バス下車後、レンタサイクルを利用。
普通の自転車と電動自転車がありましたが、
迷わず電動自転車を選択。
見学可能な坑道「龍源寺間歩」までは上り坂が続くので、
体育会系男子以外は電動が良いとのことでしたので・・・
おかげで、楽に龍源寺間歩まで行くことができました。
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しまねっこの海の別荘
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いちじくソフトを食す
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龍源寺間歩入口
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■龍源寺間歩
間歩とは銀鉱石を採掘するための坑道のこと。
石見銀山には大小合わせて600を越える間歩が点在してますが、
常時一般公開されている唯一の間歩です。
正徳5年(1715年)に開発された坑道で、
代官所直営の御直山五ヶ山の一つ。
全長約600mで、大久保間歩の次に長い大坑道。
そのうち一般公開されているのは156.7mで、
そこから新しく掘った116.4mの栃細谷新抗を通って
出口に向かいます。
坑道の高さは1.6m~2.1m、幅は0.9m~1.5m。
壁面にはノミの跡がそのまま残っており、
当時の抗内の様子を知ることができます。 |
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間歩の内部(旧坑道)
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ひおい抗
鉱脈に沿って掘り進んだ
小さな坑道
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同じくひおい抗
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坑道の天井が補強されている
ところもあります |
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出口付近の小規模な間歩
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同じく小規模な間歩
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出口に向かう栃細谷新抗
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■佐毘売山神社
鉱山の守り神、金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀る神社。
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部です。
別名を「山神社」と言い、
鉱夫たちや里人からは「山神さん」と呼ばれていました。
石見銀山で最大の神社であり、
山神社としては国内最大級の社殿を持っています。
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佐毘売山神社に上がる石段
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■福神山間歩
この間歩は、採掘にあたった山師個人が経営した
「自分山」のものですが、一時期、
代官所直営の「御直山」の坑道になったこともありました。
坑口が3か所あり、上段の坑は空気抜き坑、
下段の2坑は中でつながり、
道路の下2mほどのところを通って銀山川の下をくぐり、
後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に
堀り進んだと伝えられています。
仙ノ山と逆方向へ向かって坑口が開いている珍しい間歩です。 |
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福神山間歩
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■清水谷製錬所跡
谷の傾斜を利用して造られた明治時代の近代的な製錬所跡。
高さ33m、面積6,750㎡。
8段の石垣の上にそれぞれ建物が設置され、
上から下へ鉱石を降ろしながら、製錬が行われました。
製錬所の建物は残っておらず、
今は草木に覆われた遺跡となっています。
明治19年(1886年)、大阪の藤田組が千ノ山の福石鉱床の
金銀含有率と量に着目して銀生産を計画。
近代的な製錬所を建設して、
明治28年(1895年)4月から操業を開始しました。
収銀湿式製錬法という最新技術が投入されましたが、
鉱石の品質が予想より悪く、
設備の銀の製錬能力も十分でなかったことで不採算となり、
操業開始からわずか1年半で操業を停止しました。 |
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清水谷製錬所跡
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操業当時の清水谷製錬所
現地の案内板より
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■下河原吹屋跡
平成3年の発掘調査によって初めて発見された
17世紀初頭の銀製錬遺跡。
ここでは鉛を利用した灰吹法と呼ばれる製錬法で
銀を取り出していました。
この技法によって銀の製錬技術は飛躍的に発展し、
現在でもその原理が使われています。
遺跡には、銀鉱石を砕いた要石や
選別のために水を溜めていた跡などがあります。
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下河原吹屋跡
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■渡辺家住宅
文化8年(1811年)に建てられた
銀山地区内に唯一現存する武家屋敷。
国指定史跡。
主屋は木造瓦葺き一部二階建切妻造。
延べ床面積約223㎡。
土塀を巡らせて前庭を設け、
少し奥まった位置に主屋や土蔵を配置する
当時の武家屋敷の特徴を伝えています。
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式台玄関
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前庭
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納戸から土間方向
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床の間
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煙出し
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※移動途中に見かけたもの
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まったりするにゃんこ
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まったりするにゃんこPART2
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大田市のマスコットキャラクター
「らとちゃん」登場
石見銀山公園にて
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■羅漢寺(五百羅漢)
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一部。
五百羅漢は、大森地区の観世音寺住職・月海浄印が、
銀山で働いていて亡くなられた方の供養や
労働者の安全のために発願され、
25年の歳月をかけて明和3年(1766年)に完成しました。
羅漢寺はこの五百羅漢を護るために建立されました。
羅漢寺の川向かいの岩山に三つの石窟が掘られ、
中央石窟に釈迦如来・文珠菩薩・普賢菩薩の釈迦三尊、
左窟に阿南尊者を中心に250躯、
右窟に日蓮尊者を中心に250躯が安置されています。
羅漢像はそのほとんどが座像で高さは36㎝から47㎝。
極めて綿密に刻まれ、極彩豊かに塗りあがっています。 |
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五百羅漢が安置されている石窟
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ここでレンタサイクルを返却し、大森地区へ。
まずは昼食をとります。
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■昼食
「cafe コメマメイモ」。
古民家を改造したおしゃれな雰囲気のお店「群言堂」内にあります。
古きよき時代の雰囲気を存分に残しながら、
洗練された空間のお店です。
店内には、ギャラリーや雑貨を販売しているショップなどもあります。
店の看板メニュー「一汁一穀定食」を注文。
スープの種類とパンかご飯を選べます。
「コメマメイモの里山の幸スープ」と「ご飯(五分つき米)」を選択。
素朴で家庭的な感じのメニューでしたが、とてもおいしかったです。 |
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一汁一穀定食
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ご飯(五分つき米)
栄養価たっぷりの
地元の山で育った元気なお米
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コメマメイモの里山の幸スープ
ジャガイモとお豆腐をペーストした
コクのあるクリーミーなスープ
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昼食の後は大森地区の観光。
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■大森の町並み
大森は石見銀山の中心の町。
この地区の町並みは、二代目奉行・竹村丹後守が
代官所を現位置に移転してから形成されました。
代官所の周りには役所や郷宿が置かれましたが、
武家屋敷と町人町の明確な町割りをしなかったため、
武家屋敷と町家が混在して建てられました。
保存整備事業により、
これらの家が軒を連ねる町並みが状態よく残っており、
数々の古社・古寺なども残されています。
歴史的文化的景観を形成するこの地区は、
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 |
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石州瓦の赤い屋根が特徴
観世音寺より
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■旧河島家住宅
重要伝統的建造物群保存地区内の代官所地役人屋敷。
大田市指定史跡。
地役人とは大森代官所に勤めた役人(武士)のことで、
銀山経営や銀山領内の支配にあたっていました。
河島家は、慶長15年(1610年)、
銀山奉行・大久保石見守に召し抱えられ、
代々地役人を勤めました。
住まいは通りに面して門塀を設けており、
門をくぐると式台玄関を備える主屋が正面に見えます。
主屋は平屋建てのように見えますが、
土間と納戸の上に二階が設けられ、
接客用の座敷は庭に面しています。
土蔵、離れ、物置や風呂場などの付属屋は、
主屋の背後に配置されていました。
現存する主屋は、
寛政12年(1800年)の大森町の大火後に再建され、
文政8年(1825年)までの間に増築されたと推定されています。 |
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式台玄関 |
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玄関から座敷中ノ間方向
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中ノ間
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二階部屋
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座敷奥ノ間
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庭
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台所
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■熊谷家住宅
石見銀山御料内の最も有力な商家。
寛政12年(1800年)の大森町の大火後、
享和元年(1801年)に建築されました。
国指定重要文化財。
熊谷家は、家業である銀山経営・金融業・酒造業のほか、
代官所に納める年貢銀を秤量・検査する掛屋、
幕府巡検使の公用宿(郷宿)、
代官所の御用達などを務めました。
敷地は約1500㎡。
約650㎡の主屋と5つの蔵と納屋からなる大規模な商家建築。
その中に江戸、明治、大正、昭和時代の多くの家財道具が
展示されています。 |
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奥の間
役人の接待や町年寄の寄合など
公的な場として使われました
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北道具蔵(左手前)と衣装蔵(奥)
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地下蔵
居間の床下に設けられています
耐火金庫の類と考えられています
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東道具蔵前座敷
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主屋二階
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台所の板の間
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台所
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■大森代官所跡(石見銀山資料館)
江戸幕府が石見銀山領の支配の拠点とした施設の跡。
国指定史跡。
文化12年(1815年)建築の表門及び門長屋が現存しています。
敷地内の建物は明治35年(1902年)に建てられた旧邇摩郡役所で、
現在は石見銀山資料館として利用されています。
館内には、絵巻物や古文書、銀採鉱道具や銀鉱石など、
石見銀山に関する実物資料が展示されています。
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■城上神社
祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。
現在の拝殿は文化9年(1812年)の再建。
島根県指定有形文化財。
拝殿の鏡天井にある極彩色の「鳴き龍」は、
三瓶山麓の絵師・梶谷円林斉守休によって描かれました。
絵の真下に立って拍手を打つと、
まるで龍が鳴いているかのように澄んだ音が鳴り響きます。 |
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拝殿 |
天井絵「鳴き龍」 |
石見銀山の観光はこれにて終了。
鄙びた日本旅館が両側に立地する情緒漂う街並みで、
世界遺産の一部である温泉津の温泉街を経由して、
本日の宿泊地・浜田に向かいました。
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■本日のお宿
「グリーンリッチホテル浜田駅前」。
快適さと機能性を兼ね備えたデザイナーズホテル。
平成20年オープン。
JR浜田駅より徒歩約2分で、ビジネスにも観光にも最適です。
1階には人工ながら炭酸カルシウム温泉の大浴場を
完備しています。
ホテルでのんびりした後は、
石見神楽を見るために三宮神社へ。
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■三宮神社(石見神楽)
石見神楽は、島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能。
その由来は古く、室町時代には石見一円で農神に奉納する
田楽系の神楽が行われていたといわれています。
もともとは神の御心を和ませるという神職による神事でしたが、
明治政府から神職の演舞を禁止するお達しが出たことにより、
神職から土地の人々に受け継がれ、
民俗芸能として演舞されるようになりました。
演目は、神前を清める神事舞から物語性のある能舞まで、
その数は30数種にものぼります。
鮮やかな刺繍で飾られた衣装、響き渡る太鼓や笛のお囃子、
そして勇壮華麗な舞は見るものを魅了します。
今回の公演団体は両谷神楽社中。
演目は、八幡、恵比須、大蛇。
★八幡
武勇の神、八幡宮の祭神である八幡麻呂を讃える神楽。
九州豊前の国、宇佐八幡宮に祀られている
八幡麻呂という神様が、異国から日本に飛来した
第六天の悪魔王が人々を殺害しているのを聞き、
自ら出向いて神通の弓と方便の矢をもって見事退治する物語。
正義(神)対、悪(鬼)という石見神楽の代表的な展開の神楽です。 |
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舞台
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神楽囃子
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八幡麻呂登場
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第六天の悪魔王登場 |
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対峙する二人
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対峙する二人 |
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いざ対決
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八幡麻呂優勢か! |
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激しい戦い
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見事退治!
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★恵比須
出雲の国美保神社の御祭神、
恵比須様が磯辺で釣りをしている御姿を舞ったもの。
にこやかに鯛を釣る恵比須様の様子が面白おかしく、
心の和む演目。
恵比須様は昔から漁業、商業の神様として崇拝されています。
恵比須様のコミカルな動きは子ども達にも大人気!
鯛釣りの前に撒き餌とみたてて、福飴を撒いちゃいます。 |
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恵比須様登場
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にこやかな舞 |
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釣りの準備
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撒き餌を撒きます
(飴や一口チョコなど) |
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奥からさらに撒き餌を持ってきました
(今度はうまい棒)
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針に餌を付けています |
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釣りの開始
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立派な鯛を釣りあげました
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★大蛇(おろち)
石見神楽の代名詞にもなっている壮大なスケールの演目。
悪業のため高天原を追放された須佐之男命が、
出雲の国・斐川にさしかかると、
老夫婦と一人の娘(稲田姫)が嘆き悲しんでいました。
理由を尋ねると、夫婦には8人の娘がいましたが、
八岐(やまた)の大蛇が毎年一人ずつ娘をさらっていき、
残るのはこの稲田姫だけとなってしまいました。
稲田姫もやがてその大蛇にさらわれてしまうと言います。
須佐之男命は、老夫婦に毒酒を作る事を命じ、
大蛇がこれを飲んで酔い伏せたところを退治するという演目です。 |
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須佐之男命登場
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嘆き悲しむ老夫婦と稲田姫
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毒酒を作ります
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大蛇登場
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恐ろしい形相
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とぐろも巻きます
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酒を飲んで酔っ払っています
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客席にも乱入してきました
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戦う須佐之男命
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戦う須佐之男命PART2
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時にはピンチも
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火を噴く大蛇
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最後のとどめ
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討ち取ったり!
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演舞の後、抽選会があり、何と一等が当たりました。
ちなみに賞品は石見神楽の扇子でした。
浜田駅前に戻り、遅い夕食。
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■夕食
ホテル近くにある「旬宝」。
浜田漁港で水揚げされた旬の魚をはじめ、
150種類の和洋中メニューが揃っています。
アルコールの種類も豊富。
「浜田港四季のお魚」認証店です。
※「浜田港四季のお魚」を主食材としたメニューを
予約なしで提供可能なお店
料理は以下のものを注文。
・浜田特産赤天フライ
浜田のB級グルメ
七厘で炙って食べます
・あじ刺身
さすが浜田産、よく脂がのっています
旬の時期はトロにも匹敵すると言われています
・のどぐろ刺身
こちらも脂のノリが良く、トロトロの食感でした
・らっきょう漬
シャキシャキの歯応えで爽やかな酸味
・かさご唐揚げ
浜田産のかさご
頭から骨まで全て食べられます
・のどぐろ煮付
ふっくらして、とてもやわらか
まさに絶品!
・石焼鯛茶漬け
さっぱりしていますが深い味わい |
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お通し
まぐろの角煮
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浜田特産赤天フライ
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炭火で炙ります
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「あじ」と「のどぐろ」の刺身
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あじ刺身
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のどぐろ刺身
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らっきょう漬
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かさご唐揚げ
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のどぐろ煮付
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石焼鯛茶漬け
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